お釈迦さまのカウンセリング

2012年8月19日 (日)

お釈迦さまのカウンセリングNo5 仏教における人間観 【一切皆苦】

仏教における人間観 【一切皆苦】
                                           お釈迦さまのカウンセリングNo5
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       一切の形成されたものは苦しみであると明らかな智慧をもって観るときに、
       ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。
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                                                   法句経 第278偈


「四苦八苦」という言葉がありますが、これはもともと仏教の言葉です。「四苦」とは、生・老・病・死、
すなわち、生まれて、老いて、病気になり、死ぬ、四つの苦しみをいいます。生・老・病・死に「愛別離苦
(あいべつりく)」 「怨憎会苦(おんぞうえく)」 「求不得苦(ぐふとっく)」 「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」を
加えて八苦といいます。

「愛別離苦」とは愛する人と別れる苦しみです。
「怨憎会苦」とは、いやな人、嫌いな人とも会わなければならない苦しみをいいます。
いやな上司であれば、毎日毎日「怨憎会苦」の苦しみを味わうことになります。
「求不得苦」とは、お金や物、地位や名誉など求めるものが手に入らない苦しみです。
「五蘊盛苦」の五蘊は、人間を肉体と四つの精神作用(感受作用、表象作用、心的形成作用、認識作用)
で捉えたものです。五蘊がうまく和合しているときはいいのですが、五蘊仮和合の実体ですから、
生きるエネルギーはどこかで不調和を生じ苦しみの原因になります。身心を思うようにコントロール
できない苦しみです。

お釈迦さまのいう「苦しみ」とは、「思い通りにならないこと」という意味です。
「一切のことは思い通りにならないものだ」と思っていれば、悩むことは少なくなります。
ただ「思い通りにならないものだから、努力することも意味がない」とすねてしまうのは、
お釈迦さまの教えとは反します。お釈迦さまは、不放逸(ふほういつ)ということをとても大切にされました。
怠けないということです。
怠けないで努力し、それが結果に結びつけば、「ありがたいことだ」と感謝することです。
えてしていい結果が出ると人は傲慢になります。つつしんでいきたいものです。

2012年8月14日 (火)

お釈迦さまのカウンセリングNo3 仏教における人間観 【諸行無常】

仏教における人間観 【諸行無常】
                                     お釈迦さまのカウンセリングNo3
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       一切の形成されたものは無常であると明らかな智慧をもって観るときに、
       ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。
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                                              法句経 第277偈

仏教には、お釈迦さまが直接説かれたことに忠実な小乗仏教と、お釈迦さまが入滅して
約300年ほどしてから興隆した大乗仏教の二つの流れがあります。日本でポピュラーなのは、
「法華経」「般若経」といった大乗仏教経典です。「法句経」は小乗仏教の中でとても
ポピュラーな経典です。冒頭に掲げた句は、「諸行無常」としてわれわれが認識している
事柄を解説したものです。
この世の中で常なるものは何もなく絶えず変化している。それをよく理解していれば、
  苦しみから逃れることができる。これこそが覚りに至る道である。

諸行無常という言葉から、まず頭に浮かんでくるのは、平家物語の冒頭の一節ではないで
しょうか。
 祗園精舎の鐘の声、
  諸行無常の響きあり。
  娑羅双樹の花の色、
 盛者必衰の理をあらわす。
 おごれる人も久しからず、
  唯春の夜の夢のごとし。
  たけき者も遂にはほろびぬ、
  偏に風の前の塵に同じ。
栄華を極めた平家一族の滅亡を諸行無常の響きと修飾しているので、「諸行無常」という
言葉から連想されるのは、「はかなさ、むなしさ」だと思います。

方丈記の冒頭も諸行無常を説いています。
  行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
  よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。
  世の中にある人とすみかと、またかくの如し。
ここから受ける印象も、やはり「はかなさ、むなしさ」だと思います。

前回のメルマガで、人間は肉体と四つの精神作用(五蘊)から成り立っていて、これらは
全て移ろい行くもので、変わらないものはないという仏教の人間観を紹介いたしました。
諸行とは一切のことという意味ですから、人間に当てはめれば「五蘊無常」ということに
なります。
平家物語、方丈記の印象が強烈なので、諸行無常=むなしさ、はかなさ、と感じてしまい
ますが、もともとの意味は「全ては恒久的でなく変化する」という意味で、むなしさ、
はかなさという意味ではありません。

兼好法師は、「諸行無常」を逆に変化するから面白いというポジティブな解釈をしています。
  世の中は定めなきこそいみじけれ。(徒然草 第7段)
  折節の移り変わるこそものごとあはれなれ。(同 第19段)
ポジティブにみれば、無常であるからこそ、人間が努力して向上することもできるわけです。

道元禅師は、「志の至らざることは無常を思わざる故なり」として、無常を人間が行動して
いく上での起爆剤としてとらえています。

2012年8月13日 (月)

お釈迦さまのカウンセリングNo2 仏教における人間観【五蘊仮和合】

仏教における人間観【五蘊仮和合】

                                 お釈迦さまのカウンセリングNo2
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           五蘊仮に和合するを名づけて衆生と云うなり。
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                         (三重秘伝抄)
お釈迦さまは、人間を肉体(色)と4つの精神作用(受・想・行・識)に分けて考えました。
この色・受・想・行・識を五蘊といいます。4つの精神作用は次のように解釈されています。
「蘊」とは塊りという意味です。
 受(感受作用)    :六根(眼根、耳根、鼻根、舌根、身根、意根)を通して外界に
              あるものを受け入れる心の作用のこと
 想(表象作用)    :感覚から生じる認識、イメージとしてはっきり思い描くこと
 行(心的形成作用) :「想」に基づいて起る意志や行動の善悪に関する心の作用
 識(認識作用)   :「受」・「想」・「行」の作用を起こす根本の意識

摩訶止観によると、「識」が心王(心の主)となると説かれています。カウンセリングの
論理療法における「ビリーフ」、認知療法における「スキーマ」に当たります。何かが
起きた時に自動的に心に浮かんでくる考えを認知療法では「自動思考」といいますが、
「想」は「自動思考」と考えることができると思います。「自動思考」と「スキーマ」に
影響されながら、心に色々な思いが形成(「行」)されてきます。
心の作用を「受」「想」「行」「識」に分析し理解したことは、認知療法における心の
分析ととてもよく似ています。

仏教では、この肉体と4つの精神作用が仮に一緒になったものが人間だと認識します。
相応部経典では、
「人の肉体は渦巻のごとくである、
その感覚は泡沫のごとくである。
その表象はかげろうのごとくである、
その意志は芭蕉のごとくである、
その意識はまぼろしのごとくである。」としています。
肉体も心の動きもすべて移ろい行くもので、変わらないものはないという認識です。

2012年5月19日 (土)

【人身受け難し -仏教における人間観-】

  
                                   お釈迦さまのカウンセリングNo.1
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  人身を受けることは優曇華の時に乃ち現れるが如く、盲亀の浮木に遭うがごとし。
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優曇華(うどんげ)とはインドで古くから神聖視される樹木で、毎年花が咲きますがその花
は外からは見えません。そこで3000年に一度だけ咲く極めて珍しいものとして稀有な出来
事のたとえに用いられるようになりました。盲亀浮木(もうきふぼく)のたとえは、大海に
住む盲の亀が100年に一度海中から顔を出し、たまたま流木の孔に出会うという千歳一隅
の偶然性を表しています。つまり、人間として生まれてくるのは、確率の非常に低い宝く
じに当るようなもの。めったにないチャンスを与えられたものだというのが仏教的人間観
です。

この千歳一隅のチャンスをどう考えるか。いろいろと解釈できますがここでは、2つのこ
とに絞ってみたいと思います。

1)人として生まれてきたことに感謝する。
仏教には衆生という言葉があります。命あるもの、心を有するものといった意味で、人間
だけでなく一切の動物が対象になります。インドには輪廻という考え方がありました。本
生譚というお釈迦様の前世を描いた物語があります。虎であったり、オウムであったり色々
な動物がお釈迦様の前世の姿として描かれています。前世での功徳が積み重なって人間と
して生まれてくることができる。人間として生まれることができたのは、とてもありがた
いことであるというのが仏教における人間観です。
「前世」「来世」といった考え方を受け入れる人は少ないと思いますが、人間は朝生まれて夜
死ぬといった人生を毎日繰り返していると考えれば、今日という人生を精一杯生きようと
いう気になります。

2)怠けずにコツコツと。
仏教では「不放逸」ということをとても大切にします。なまけないこと、怠惰でないこと、
散漫でなく専心することといった意味です。「精進」も同じような意味ですが、人間は本来
怠けがちなもの、だから自分を律していくことが大切だというニュアンスを感じさせる「不
放逸」ということを肝に銘じて生きたいものです。