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2012年8月16日 (木)

お釈迦さまのカウンセリングNo4 仏教における人間観 【諸法無我】

仏教における人間観 【諸法無我】
                                          お釈迦さまのカウンセリングNo4
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      一切の事物は我ならざるものであると明らかな智慧をもって観るときに、
      ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。
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                                                  法句経 第279偈

一般的には、「我」とは「自我」、すなわち意識者が他の意識者及び対象から、自らを区別することを言い
ますが、仏教における「我」は少々意味が違います。お釈迦さま以前のインド哲学者たちは、我々の中に、
固定的実体があるように考え、それをア-トマン(我)と名づけました。ア-トマン(我)とは、ちょっと難しい
言葉ですが、「常一主宰」と定義されています。単独でなりたち、常住で変化しない存在で、すべてのもの
を統率し支配しているものを支配しているものという意味です。

冒頭の偈は、すべてのものは、「常一主宰でないもの」と考えることが、大いなる智慧であって、その智慧
をもってものごとを観ることができるときに苦しみから遠ざかることができる。それが覚りに近づくことだと
言っています。「常一主宰でないもの」とは、すべては移り行くもの(無常)であり、縁によって成り立つ
もの(縁起)であるということです。従って、前回述べました「無常」と「無我」は基本的に同じことです。

「我」は自分への捉われ、自分への執着につながります。悩みは何らかの形で自分へのこだわりと関連
しています。例えばウツ病の場合、「あるべき自分」と「現実の自分」のギャップに悩み、なんとかしなければ
ならないという思いと、どうにもできない現実のギャップに悩む状態と捉えることができます。「諸法無我」
という認知を自分のものとすることは、ウツ病から遠ざかる一つの道を見つけたことにつながります。

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