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2012年8月14日 (火)

お釈迦さまのカウンセリングNo3 仏教における人間観 【諸行無常】

仏教における人間観 【諸行無常】
                                     お釈迦さまのカウンセリングNo3
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       一切の形成されたものは無常であると明らかな智慧をもって観るときに、
       ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。
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                                              法句経 第277偈

仏教には、お釈迦さまが直接説かれたことに忠実な小乗仏教と、お釈迦さまが入滅して
約300年ほどしてから興隆した大乗仏教の二つの流れがあります。日本でポピュラーなのは、
「法華経」「般若経」といった大乗仏教経典です。「法句経」は小乗仏教の中でとても
ポピュラーな経典です。冒頭に掲げた句は、「諸行無常」としてわれわれが認識している
事柄を解説したものです。
この世の中で常なるものは何もなく絶えず変化している。それをよく理解していれば、
  苦しみから逃れることができる。これこそが覚りに至る道である。

諸行無常という言葉から、まず頭に浮かんでくるのは、平家物語の冒頭の一節ではないで
しょうか。
 祗園精舎の鐘の声、
  諸行無常の響きあり。
  娑羅双樹の花の色、
 盛者必衰の理をあらわす。
 おごれる人も久しからず、
  唯春の夜の夢のごとし。
  たけき者も遂にはほろびぬ、
  偏に風の前の塵に同じ。
栄華を極めた平家一族の滅亡を諸行無常の響きと修飾しているので、「諸行無常」という
言葉から連想されるのは、「はかなさ、むなしさ」だと思います。

方丈記の冒頭も諸行無常を説いています。
  行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
  よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。
  世の中にある人とすみかと、またかくの如し。
ここから受ける印象も、やはり「はかなさ、むなしさ」だと思います。

前回のメルマガで、人間は肉体と四つの精神作用(五蘊)から成り立っていて、これらは
全て移ろい行くもので、変わらないものはないという仏教の人間観を紹介いたしました。
諸行とは一切のことという意味ですから、人間に当てはめれば「五蘊無常」ということに
なります。
平家物語、方丈記の印象が強烈なので、諸行無常=むなしさ、はかなさ、と感じてしまい
ますが、もともとの意味は「全ては恒久的でなく変化する」という意味で、むなしさ、
はかなさという意味ではありません。

兼好法師は、「諸行無常」を逆に変化するから面白いというポジティブな解釈をしています。
  世の中は定めなきこそいみじけれ。(徒然草 第7段)
  折節の移り変わるこそものごとあはれなれ。(同 第19段)
ポジティブにみれば、無常であるからこそ、人間が努力して向上することもできるわけです。

道元禅師は、「志の至らざることは無常を思わざる故なり」として、無常を人間が行動して
いく上での起爆剤としてとらえています。

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