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2012年8月13日 (月)

お釈迦さまのカウンセリングNo2 仏教における人間観【五蘊仮和合】

仏教における人間観【五蘊仮和合】

                                 お釈迦さまのカウンセリングNo2
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           五蘊仮に和合するを名づけて衆生と云うなり。
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                         (三重秘伝抄)
お釈迦さまは、人間を肉体(色)と4つの精神作用(受・想・行・識)に分けて考えました。
この色・受・想・行・識を五蘊といいます。4つの精神作用は次のように解釈されています。
「蘊」とは塊りという意味です。
 受(感受作用)    :六根(眼根、耳根、鼻根、舌根、身根、意根)を通して外界に
              あるものを受け入れる心の作用のこと
 想(表象作用)    :感覚から生じる認識、イメージとしてはっきり思い描くこと
 行(心的形成作用) :「想」に基づいて起る意志や行動の善悪に関する心の作用
 識(認識作用)   :「受」・「想」・「行」の作用を起こす根本の意識

摩訶止観によると、「識」が心王(心の主)となると説かれています。カウンセリングの
論理療法における「ビリーフ」、認知療法における「スキーマ」に当たります。何かが
起きた時に自動的に心に浮かんでくる考えを認知療法では「自動思考」といいますが、
「想」は「自動思考」と考えることができると思います。「自動思考」と「スキーマ」に
影響されながら、心に色々な思いが形成(「行」)されてきます。
心の作用を「受」「想」「行」「識」に分析し理解したことは、認知療法における心の
分析ととてもよく似ています。

仏教では、この肉体と4つの精神作用が仮に一緒になったものが人間だと認識します。
相応部経典では、
「人の肉体は渦巻のごとくである、
その感覚は泡沫のごとくである。
その表象はかげろうのごとくである、
その意志は芭蕉のごとくである、
その意識はまぼろしのごとくである。」としています。
肉体も心の動きもすべて移ろい行くもので、変わらないものはないという認識です。

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