« 2012年3月 | トップページ | 2012年8月 »

2012年5月

2012年5月19日 (土)

【人身受け難し -仏教における人間観-】

  
                                   お釈迦さまのカウンセリングNo.1
***********************************************************************
  人身を受けることは優曇華の時に乃ち現れるが如く、盲亀の浮木に遭うがごとし。
***********************************************************************

優曇華(うどんげ)とはインドで古くから神聖視される樹木で、毎年花が咲きますがその花
は外からは見えません。そこで3000年に一度だけ咲く極めて珍しいものとして稀有な出来
事のたとえに用いられるようになりました。盲亀浮木(もうきふぼく)のたとえは、大海に
住む盲の亀が100年に一度海中から顔を出し、たまたま流木の孔に出会うという千歳一隅
の偶然性を表しています。つまり、人間として生まれてくるのは、確率の非常に低い宝く
じに当るようなもの。めったにないチャンスを与えられたものだというのが仏教的人間観
です。

この千歳一隅のチャンスをどう考えるか。いろいろと解釈できますがここでは、2つのこ
とに絞ってみたいと思います。

1)人として生まれてきたことに感謝する。
仏教には衆生という言葉があります。命あるもの、心を有するものといった意味で、人間
だけでなく一切の動物が対象になります。インドには輪廻という考え方がありました。本
生譚というお釈迦様の前世を描いた物語があります。虎であったり、オウムであったり色々
な動物がお釈迦様の前世の姿として描かれています。前世での功徳が積み重なって人間と
して生まれてくることができる。人間として生まれることができたのは、とてもありがた
いことであるというのが仏教における人間観です。
「前世」「来世」といった考え方を受け入れる人は少ないと思いますが、人間は朝生まれて夜
死ぬといった人生を毎日繰り返していると考えれば、今日という人生を精一杯生きようと
いう気になります。

2)怠けずにコツコツと。
仏教では「不放逸」ということをとても大切にします。なまけないこと、怠惰でないこと、
散漫でなく専心することといった意味です。「精進」も同じような意味ですが、人間は本来
怠けがちなもの、だから自分を律していくことが大切だというニュアンスを感じさせる「不
放逸」ということを肝に銘じて生きたいものです。

« 2012年3月 | トップページ | 2012年8月 »