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2012年3月17日 (土)

「死ぬ瞬間 -死とその過程について-」 エリザベス・キューブラー・ロス著 中公文庫

訳者の鈴木晶さんのあとがきによると、ターミナルケアに関心を寄せる人々にとっての「聖書」と呼ばれている本ということです。エリザベスはキューブラー家の3女として1926年にスイスで生まれました。1958年に、イマニュエル・ロスと結婚し、アメリカに渡りました。詳しくは自伝「人生は廻る輪のように」を参照していただきたいと思いますが、離婚、放火被害、チャネリング、宇宙意識体験などドラマチックな体験をずいぶんとしています。

著作の構成は次のようになっています。

1 死の恐怖について

2 死とその過程に対するさまざまな姿勢

3 第一段階/否認と孤立

4 第二段階/怒り

5 第三段階/取り引き

6 第四段階/抑鬱

7 第五段階/受容

8 希望

9 患者の家族

10 末期患者へのインタビュー

11 死とその過程に関するセミナーへの反応

12 末期患者への精神療法

癌のような致命疾患に取り付かれた患者は、次の5段階の心の状況を経るというのが本書のポイントです。

1.     否認:「私のことじゃない。そんなことがあるはずない」という思い

2.     怒り:「どうして私なのか」という怒り

3.     取り引き:「避けられない結果」を先に延ばすための交渉

4.     抑鬱:健康を失ったという喪失感と、死を迎えるための心の準備からくる憂鬱

      感

5.     受容:長い旅路の前の最後の休息

日本人にちょっと判りにくいのが「取り引き」だと思います。キリスト教徒は、ほとんどの場合、取り引きの相手は神になるとのことです。少しでも命を延ばしてもらえるなら、「人生を神に捧げる」とか「教会に奉仕する」ことを約束する患者が大変多いということです。日本人には「神にすがる」と言った感覚の方がしっくりとくるかもしれません。忠臣蔵に見られるように、美しい死で人生を完結する美学の精神が少しは残っているような気もします。

忘れてならないのが、この5段階のすべてにおいて「希望」が存在しているということです。ひょっとすると、がんの新薬が開発されて助かるかもしれないといった「希望感」をどこかに持っている。医者がさじを投げるような態度で患者に接することを戒めています。

「否認」「怒り」「取り引き」「抑鬱」「受容」「希望」は、一種の防衛メカニズムです。病気に限らず、耐え難い状況に陥ったとき、自分で自分を守るため、納得させるために、色々な防衛メカニズムに頼るようです。

仕事の関係で、阪神淡路地震が起きた3日後に芦屋、神戸を調査したことがあります。そのとき不思議だったことは、震災に遭遇した人々があまり落ち込んでいるように見えなかったということです。おそらく第4段階の「抑鬱」まで達していなかったのだと思います。しばらくしてからガクっと落ち込んだ人が大勢いたということをニュースで知り、「そうだろうな」と思ったことを覚えています。

「死生観」について少しまとめてみたいと思います。道元禅師の正法眼蔵「生死」の巻に、次のような一節があります。

『この

生死

(

しょうじ

)

は、すなはち仏の御いのちなり、これをいとひすてんとすれば、すなはち仏の御いのちをうしなはんとするなり。これにとどまりて、生死に著すれば、これも仏のいのちをうしなうなり。』

(現代語訳)われの命は、仏の御命である。これを厭い捨てようとするのは、仏の御命を失うことである。これにとどまって生死に執着するのは、仏の御命を失い、仏をただ表面的に理解することである。

仏教では、すべては「苦」であるという認識に立っています。四苦八苦という言葉は元々仏教の言葉で、「四苦」というのは、「生・老・病・死」、すなわち、生まれること・老いること・病気になること・死ぬことです。では何のために生きているの? 楽しむために人生はあるんじゃないの? と反論されそうです。ちょっと逆説的になりますが、「みんな苦しくて当たり前、だからこそ、他の人が幸せになることが自分の幸せ(利他のこころ)」と整理するのです。「慈悲のこころ」と言いますが、「慈」と言うのはインドの言葉では「マイトリー」です。これは「友」を表す「ミトラ」という言葉の派生語で、友愛を意味します。漢訳では「与楽」(他者に利益や安楽をあたえること)としています。「非」というのは「カルナ」と言う言葉からきています。他者の苦に同情し、そこから抜け出せるようにしてあげること、漢訳では「抜苦」としています。「慈悲のこころ」は、カウンセリングでいう「受容共感」と共通したところがあると思います。

少し話がそれてしまいましたので元に戻します。「生死」すなわち人生は、「仏の御命」であるというのが、道元禅師の解釈です。「仏」を「自然の摂理」とか「宇宙」と読み替えると解りやすいと思います。「個体発生は、系統発生を繰り返す」といいます。胎児は、魚の段階、爬虫類の段階、哺乳類の段階という進化を母親のお腹の中で経て、人間として生まれてくるという説です。生物には必ず、親がいます。進化をさかのぼっていけば、35億年前の原始生命体に行き着くわけです。そうすると自分という存在には35億年間の進化の過程が凝縮されているわけです。

太陽は中くらいの重さの恒星で、その輝きは水素がヘリウムに核融合するときのエネルギーです。温度が足りないため、ヘリウムの核融合は起きません。太陽の8倍以上の質量の恒星になると、核融合がさらに進み、炭素、酸素、マグネシウム、珪素へと進行し次々と重い元素が生まれ、最後に鉄になります。鉄は核融合を起こせないため、恒星の中心部は冷えてきます。すると重力収縮に耐え切れず最後は大爆発します。これを超新星爆発といいます。すると色々な元素は宇宙空間に飛び散って宇宙の塵となります。太陽系は、この塵が集まってできたものです。人の身体には鉄が含まれています。これは太陽が生まれる前に起きた超新星爆発の残骸なのです。こうしてみてくると人は宇宙の進化の凝縮でもあるわけです。

したがって「生」は宇宙から与えられたものであって、「死」は与えられた「生」を宇宙へお返しするものと考えるのが、とても自然な考え方と思えるのです。

さて、キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」の各章の冒頭には、インドのノーベル賞作家のタゴールの詩が引用されています。一例を挙げると、第一章の冒頭には、

『危険から守られることを祈るのではなく、

恐れることなく危険に立ち向かうような人間になれますように。

痛みが鎮まることを祈るのではなく、

痛みに打ち勝つ心を乞うような人間になれますように。

人生と言う戦場における盟友を求めるのではなく、

ひたすら自分の力を求めるような人間になれますように。

恐怖におののきながら救われることばかりを渇望するのではなく、

ただ自由を勝ち取るための忍耐を望むような人間になれますように。

成功のなかにのみ、あなたの慈愛を感じるような卑怯者ではなく、

自分が失敗したときに、あなたの手に握られていることを感じるような、

そんな人間になれますように。』

タゴールの詩は、とても奥深く、聖路加病院の日野原先生は著書「老いを創める」の中で、次のように言っておられます。

『タゴールの詩に私は自問する。

私たちに、あるいは次の誕生日を待たずに来るかもしれないこの世との別れのときに、私たちのたずさえる袋は、財や名誉でふくらみ、手ひもが切れそうになった袋か、あるいはタゴールのいう、人に多くを与えてしまった頭陀袋、だが友人の愛と赦しとを、つつましやかに入れた頭陀袋なのか。

  老いても、死の床にあっても、タゴールのようなつつましやかさで、思いを口述したり、素直な言葉で友に語れる人になりたい。』

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