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2010年8月

2010年8月11日 (水)

時もし去来の相を保任せば、われに有時の而今ある。これ有時なり。(有時)

現代語訳すれば、「もし時がわれの内を過ぎ行くものであるとしても、われの内には、常に現在がある。それが有時というものである。」ということになるかと思います。「有時」は普通に読めば、「ある時」となるのですが、道元禅師は「有」を「存在」と解釈して、「存在」と「時間」とについて、お考えを展開しています。ハイデガーの先取りのようなものです。

時間は時々刻々過ぎ去っていっていきます。それをわれわれは「過去・現在・未来」という概念で理解しています。しかし厳密に考えると、「過去」は脳の記憶であり、「未来」は脳の思考です。現実に体験しているのは、「現在」しかありません。「今、ここに」がずっとゴロゴロ転がって行くイメージです。

話は変わりますが、数学にフーリエ変換があります。時間ごとに捉えたデータをフーリエ変換すると、スペクトルになります。例えば地震の動きをフーリエ変換すると、周波数ごとの動きの頻度が判ります。時々刻々の動きでは判らなかった地震の特徴が、スペクトルにすると一目瞭然にわかるのです。これと同じ事で、過去の自分の体験がフーリエ変化されて現在の自分にたたみ込まれている。どうもそんな風に感じられます。

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