« こよなき幸せ | トップページ | 感応道交するところに、発菩提心するなり。(正法眼蔵 発菩提心) »

2010年7月10日 (土)

前後ありといへども、前後際断せり (正法眼蔵 現成公案)

「前後裁断」に関して、「現成公案」には、二つのたとえ話が出てきます。一つは「薪」と「灰」の話です。普通私たちは、薪が燃えて灰になると考えます。燃焼という化学反応によって薪が灰になる。だから薪と灰は連続している。ところが道元禅師は、そうは見ません。薪はあくまでも薪であって、灰はあくまでも灰である。もう一つの喩は、「春」と「夏」の関係です。春が夏になるのではなく、春はあくまでも春であり、夏はあくまでも夏である。
仏教では、「刹那生滅」という考え方があります。時間は連続しているのではなく、八ミリフィルムのように一瞬一瞬がこま切れになっている。宮沢賢治は、これを「有機交流電燈」と表現しました。「人生の一コマ一コマ」という表現があります。人生は連続したものではなく、一コマ一コマの断続したものである。
人はどうしても前の結果に引っ張られます。例えばテニスの試合でミスをすると、それが気になって後のプレーがおかしくなる。「気分を変えて次のプレーに集中しましょう」解説者がよくいうことです。解説者だから簡単に言えるのであって、当のプレーヤーは中々それができない。逆に言うと、それができるのが一流プレーヤーということになります。
うつ病は、前後裁断できなくなった状態といってもいいと思います。「もうだめだ・・・もうだめだ・・・もうだめだ・・・」という前後無裁断スパイラルに陥って抜け出せなくなる。日頃「前後裁断。前後裁断。前後裁断」と呪文のように唱えるのは、意外と効果があるように思います。

« こよなき幸せ | トップページ | 感応道交するところに、発菩提心するなり。(正法眼蔵 発菩提心) »

道元禅師」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 前後ありといへども、前後際断せり (正法眼蔵 現成公案):

« こよなき幸せ | トップページ | 感応道交するところに、発菩提心するなり。(正法眼蔵 発菩提心) »