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2010年7月19日 (月)

自己をはこびて万法を修証するを迷いとす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり。 (正法眼蔵 現成公案)

自分が主体になってものごとを実証するのは迷いである。取り巻く環境が自分を証明しはじめれば、悟りの域に達したといっていい。

「自己」を「自我」、「万法」を「自然の摂理」と考えると理解しやすいと思います。「自然の摂理」を「宇宙意識」といってもいいと思います。「おれが、おれが、・・・」ではなく、宇宙との一体感が感じられ、その一体感から自然と行動が導かれる。そんな状態がさとりだということです。会社でも、一生懸命自己PRする人がいます。本人は一生懸命なのですが、なんとなく浮いている。それとは逆に、「これはあの人でなくては」と皆が感じて、自然としかるべきポジションにはまっていく人がいます。状況がその人を求めるといった感じです。

「万法すすみて自己を修証する」ために具体的にはどうしたらいいか? 禅家が教えるところは、坐禅の実践です。坐禅に親しみのない一般人はどうしたらいいか? 人の話しをよく聞くことだと思います。ただ、うなづきトリオではダメで、何か活用できることはないかといった姿勢をもって、聞き入ることが重要です。教えてもらう姿勢といってもいいと思います。

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