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2010年5月31日 (月)

自己をはこびて万法を修証するを迷とす(現成公案)

「自己(じこ)をはこびて万法(まんほう)を修証(しゅしょう)するを迷(めい)とす、万法(まんほう)すすみて自己(じこ)を修証(しゅしょう)するはさとりなり。」 (正法眼蔵 現成公案)

「自己をはこびて万法を修証する」とは、自分の立場から、あれこれと思案して、ものごとの真実を明らかにしようとすることです。これが「迷い」だとしています。「万法すすみて自己を修証する」とは、逆に外の世界のほうが自分に向かってきて、言わば外界と自分が一体となっていくことです。これが「さとり」だとしています。悩みの多くは「迷い」が原因となっています。迷うこと自体がよくないことと思い、迷っている自分自身を否定してしまう。そこから悩みがまた膨らんでくる。これを繰り返しているとにっちもさっちも行かなくなってくる。迷っている自分に気がつき、迷いの中にさとりのネタがあるかもしれないと思えれば、迷いで自己否定する気持ちが薄らいできます。

自分のものの捉えかたに注目して、悩みを修正していく心理療法を論理療法といいます。論理療法では非合理的な考え方(イラショナル・ビリーフ)を合理的な考え方(ラショナル・ビリーフ)に修正していきます。非合理的な考え方を修正する手段として、「自己をはこびて万法を修証する」アプローチを「万法すすみて自己を修証する」アプローチに転換してみるのも有効だと思います。

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